高校3年生のみなさん。こんな光景に、覚えがありませんか。
放課後の教室。塾の自習室。机の上には、模試の結果と問題集。先生や塾の講師が、入試で点を取るための「コツ」を教えてくれる。この選択肢は消せる。ここが出たら、この公式を使う。わからなければ、こうやって絞り込む。少しずつ、正解を当てるのがうまくなっていく。模試の判定が上がる。偏差値が上がる。
でも、ふと気づくことがあります。自分は、いったい何を学びたかったんだろう。いつの間にか、「学ぶこと」が「正解を当てること」に変わっている。もし学校が本当にそれだけなら、勉強が好きじゃない人がいても不思議ではありません。
でも、それが学びのすべてだと思わないでください。点数以上のものを、学校に求めてください。
そもそも、テストが悪いわけではありません。テストは「ものさし」です。自分が何を知っているのか、何ができるのかを測るための道具です。問題は、いつの間にか私たちが、「学んだ結果としてテストを受ける」のではなく、「テストで点を取るために学ぶ」ようになってしまったことです。
たとえるなら、レストランに入って、メニューを読んだだけで「食事をした」と思っているようなものです。私たちは長いあいだ、生徒たちにメニューを渡して、それを「学び」と呼んできたのかもしれません。だから、「勉強はつまらない」と感じる高校生がいても、不思議ではありません。
先生には、生徒が何を理解しているのかを測る必要があります。テストの数日前になって必死に詰め込むのだって、昔から変わらない、ごく普通の学校生活の一部です。でも、テストは「ゴール」ではありません。「入り口」です。でも、本当の学びは、そこから始まります。実際に何かに取り組んでみる。フィードバックをもらう。直す。もう一度やってみる。そして、納得できるところまで、何度でもやり直す。
テストは、トレーニングルームです。学校は、あまりにも長い間、生徒たちにトレーニングばかりさせて、肝心の試合に出してきませんでした。では、本当の「試合」とは何でしょう。先生から出されたわけでもないのに、なぜか頭から離れなかった問い。ちょっとした興味から始めたはずなのに、いつの間にか夢中になっていたプロジェクト。提出したあとも、「これは自分がつくったものだから」と大切に残しておきたくなったレポート。それこそが、本当の学びです。
テストはほんの一部です。旅行前のガイドブックを読むことであって、必要ではあるけど、旅そのものではありません。
Make something worth showing.
見せる価値のあるものを、作ろう。
もちろん、すべての科目で「公開できるほどの作品」を作る必要はありません。HSCredの成績書に載せて大学に見せられる作品は、最大10本です。大学の入試担当者は、その半分も見ないかもしれません。それでもいいのです。なぜなら、その作品はすでに、3人の専門家による審査を受け、評価されているからです。ここで、少し大胆な提案をしてみましょう。期末テストを、学期の最初の日にやってしまったらどうでしょう。先に終わらせてしまうのです。初日に合格できる生徒もいるでしょう。そういう生徒は、その瞬間からプロジェクトに取りかかればいい。
もう一度言います。テストは「ゴール」ではない。テストは「門ーゲート」なのです。
そう考えれば、「76点」や「97点」といった細かな数字に、今ほど大きな意味を持たせる必要がないことにも気づきます。必要なのは、その教科について深く掘り下げ、何かを生み出すための基礎が身についているかどうか。つまり、本当の学びを始める準備ができているか。それだけです。実際に自分のテーマを掘り始めれば、その過程でさらに多くの知識を身につけることになります。教育に関わる私がこんなことを言うと、驚かれるかもしれませんが、65点は、ある意味で完璧な点数です。基礎は理解している。そして、始めることこそが目的なのです。本当にあなたを成長させるものは、そのあとにあります。さあ、始めましょう。
今の学校では、多くの生徒が何週間も退屈な授業を受け、最後になってテスト勉強を詰め込みます。頭がもっともよく働く若い時間を、退屈のあまりペンを回しながら過ごしている。家では一生懸命勉強している生徒もたくさんいます。学校には友達に会いに来る。そして、誰のためにつくられたのかわからないような授業を、何週間も座って受け続ける。
だから逆にしてみたらどうでしょう。学期の始めにテストを受ける。合格する。そして、そこでできた時間を、何かを作ることに使うのです。頭にとっての「筋力トレーニング」は、しばしばフラストレーションとして感じられます。それでも考え続けて、壁を越える。その瞬間に学んだことは、簡単には忘れません。苦しさのあとの達成感の喜びこそが、本物の学びを記憶に刻み込むのです。
そしてここからは、ほとんどの高校生がまだ知らない話です。ニューヨークでは今、その門が開こうとしています。ニューヨーク州教育庁は、高校卒業資格であるRegents試験を段階的に廃止すると決めました。これまでRegents試験は、高校生活の最後に立ちはだかる門でした。その代わりとして準備されているのが [ポートフォリオ型卒業資格]です。マークシートでどれだけ正解を選べるかではなく、「あなたは何ができるのか」を示す方向への転換です。早ければ2027年秋から、ニューヨーク州の高校卒業資格は実際に生徒が取り組んだ成果によって示せるようになります。
テスト準備に使われていた膨大な時間を、自分自身の意見が宿る作品の制作時間として取り戻せるかもしれないのです。
だから、鉛筆だけではなく、カメラを手に取ってください。
編集された映像も、ニューヨーク州の高校卒業資格として使える時代がやってきます。Regents試験が始まって以来、160年以上にわたって、その門は閉じたままでした。もし今、高校生活の前半にいるなら、あなたはまさに、ルールの変換期に立ち会っている、ほんの一握りの世代です。しかも、それは一部のエリート校だけではなく、すべての生徒に開かれる可能性があります。もちろん、まだ「約束」ではありませんが今、この短い期間だけは、次に何が来るのかを、あなたたち自身が選ぶことができます。大人たちだって、カメラと、鍛えられた思考力と、「もっと知りたい」という情熱を持った高校生が、いったい何を生み出せるのか、本当にはわかっていないのです。
ただし、門が開いたことと、そこを実際に歩いて通ることは、同じではありません。気を抜けば、人はすぐに慣れた方法へ戻ってしまいます。学校はこれからも、RegentsやAP試験を勧めるかもしれませんが、やがて必須ではなくなっていきます。これからは生徒が選択できるのです。そしてAPを選ぶなら、もう一つ知っておいてほしいことがあります。(AP(Advanced Placement)は、アメリカの高校生が大学レベルの科目を高校在学中に学べるプログラムです。College Boardが運営しており、大学によっては高得点を取ると大学の単位として認定されます。また、難度の高い科目に挑戦した実績として、大学入試でも学力を示す材料になります。
当のCollege Board(SATやAPテストなどを運営している教育非営利団体)でさえ、学力はテストだけで測るものではないと考えています。College Boardは意図的に、APの中にプロジェクト学習の要素を組み込んでいます。[AP リサーチ]を見てください。生徒は一年をかけて、自分が関心を持った問いを研究します。4,000〜5,000語の学術論文を書き、研究成果を発表し、自分の研究について口頭で質問に答えます。年度末の筆記試験はありません。評価の75%は論文。残り25%はプレゼンテーションと口頭試問です。つまり[AP リサーチ]の評価はすべて、自分でつくり、自分の名前で責任を持って説明できる成果によって決まります。[AP セミナー]も同じ考え方です。[AP コンピューターサイエンス]で生徒自身がつくるプログラムも、[AP アートとデザイン]のポートフォリオもそうです。College Boardが、それらを、「生徒が学んだことの証拠」として扱っています。これは、とても重要なことです。AP試験をつくっている人たち自身が、「何を知っているかを示す最良の証拠は、試験会場で丸をつけた答えとは限らない」と認めているのです。だからAP試験を受けたいなら、受けて合格して大学の単位を取ってください。そして、その先へ行ってください。そのAPの点数を生み出すまでに、自分が実際に何を考え、何をつくり、どんな壁を越えたのか。
そのプロジェクトをHSCredで公開してください。
そうすれば大学は、APの点数だけでなく、その点数の「舞台裏」まで見ることができます。APですら、学びは試験より大きなものでなければならないと気づいています。APで高いスコアを取る生徒が大勢いる中で、自分を際立たせる一つの方法は、実際に成し遂げたことを公開し、大学に見てもらうことです。だから、「自分をテストの点数だけで見ないでほしい」と言えるだけの知識を持ってください。ただし、その代わりには、実際の成果と、それを公平に評価する仕組みが必要です。
あなたは、テストという器に収まるほど小さな存在ではありません。
でも、「NO」と言うだけでも足りません。何かを拒否するだけでは、何も変わらない。より良いものに「YES」と言わなければならないのです。プロジェクトをやらせてほしい、と言ってください。自分の最高の作品を集めたポートフォリオで評価してほしい、と言ってください。HSCredは、まさにそのためにつくられています。次は、大学に見せられる映像を一本をつくってください。自分が誇りに思っているものを選んでください。
研究でもいい。コードでもいい。取材でもいい。自分の住む街についての主張でもいい。ダンスでもいい。そして10分間、自分の作品について、自分自身の言葉で語ってください。研究者が自分の研究を説明し、問いに答えるように。ポスターボードを使って説明してもいい。映像にナレーションをつけてもいい。方法は、あなたが考えればいい。その作品を、その分野を知る3人の専門家が、公開されたルーブリック(共通基準)に沿って評価します。専門家同士が互いの研究を評価するのと同じように。
そして、その作品が基準を満たせば、認定済み作品として公開されます。全米のどの大学にも見せることができる、あなたの学びの証しです。映像の撮影、編集、配信が可能になったことで、これまで学校の外にいた「審判」を、フィールドに呼べるようになりました。ミシシッピ州の地方に住む高校生でも、名門私立高校の生徒と同じように、専門家に作品を見てもらうことができます。
HSCredでは、どの学校に通っているかは関係ありません。どこに住んでいるかも関係ありません。見るのは、作品だけです。
その作品の向こうには、専門家という観客がいる。そしてその先には、大学の入試担当者や、さらに広い社会があります。人は、公開する価値のあるものをつくったとき、学ぶことを好きになります。テスト対策ばかりしていると、学ぶことが嫌いになります。もちろん、テスト対策が必要なこともあります。でも、子ども時代のすべてを、それに使う必要はありません。
一方は、あなたの意見を求める。もう一方は、あなたに黙って正解を選ぶことを求める。一方は、あなたの住む街、あなたの文化、あなた自身の問いから生まれる。もう一方は、どこかの誰かが決めた基準として、上から渡される。
そして、ここからは私たちが怒ってもいい話です。
一部の恵まれた学校では、生徒たちは一年中、何かをつくっています。実験する。議論を組み立てる。映像を撮る。自分の成果を発表し、厳しい質問に答える。一方、多くの学校では、生徒たちはテスト対策を繰り返しています。静かに座る。覚える。繰り返す。同じように可能性を持った頭脳なのに、二つのまったく違う未来がつくられる。その違いを生んだのは、生徒自身ではなく大人たちが「何を評価するか」を決めた結果です。学校にお金や力がなければ、本物の料理ではなく、メニューだけを渡される。テスト。またテスト。そして、またテスト。あなた自身から出てくる問いは、問われない。あなた自身の文化――本来、新しいアイデアが生まれる源泉であるはずのもの――は、勉強の邪魔であるかのように扱われる。そして、AIの時代には、この差はさらに大きくなります。「つくること」を学んだ生徒は、AIを使ってさらに遠くまで行く。一方、「正解を出す訓練」だけを受けた生徒は、AIを使って考えることそのものをやめてしまうかもしれない。同じ道具です。でも、結果は正反対です。
College Board自身も、SATについて、「SATだけを、人生を左右するような重要な判断の唯一の情報源として使うべきではない」という立場を示しています。テストをつくっている側が、学校に対して、テストだけで生徒の人生を決めるなと言っているのです。私も、まったく同感です。そして政府側でも、同じ変化が起き始めています。ニューヨーク州 Regents委員会は、標準テストだけに依存する教育から、その先へ進む機会をつくろうとしています。
[ポートフォリオ型卒業資格]をよく読めば、そこには、誰も「権利」とはっきり呼んでいないけれど、実質的には次のような生徒の権利が見えてきます。
本物の成果をつくり、それによって評価されること。
実際の成果を伴わない一つの数字だけに、自分を過小評価されないこと。
自分の意見、自分の問い、自分の文化を学びに持ち込むこと。
難しいことに挑戦し続ける限り、失敗することを許されること。
テストが終わったあとに、学んだことを実際に使う時間を持つこと。
どの高校に通っていても、同じように自分の学びを記録できること。
そして近い将来、本物の成果を示す覚悟があるなら、人生を左右する一回の試験に「NO」と言えること。
どんな権利も使われなければ、紙に書かれた言葉にすぎません。もちろん、今も必要な試験はあります。ニューヨーク市の公立高校上位8校への入学に必要なSHSATのような試験もあります。APを大学の単位取得や専門的なプログラムへの入り口として評価している家庭もたくさんあります。難しい試験に合格することは、決して悪いことではありません。ただ、それを「最後」にしてはいけないのです。合格して、その先へ行ってください。
HSCredでは、経済的な事情によって作品の公開を諦める必要がない仕組みを目指しています。作品一つを専門家に評価してもらうには100ドルかかりますが、それを負担できない生徒には非営利のパートナーが支援します。希望者が多ければ少し待つことはあるかもしれません。それでもお金だけが理由で、誰かが学びを公開できなくなることがないようにする。そのために、この仕組みをつくりました。
はじめから、私たちはこの言葉を掲げてきました。
Passion for Learning.
学ぶことへの情熱。
私たちは、それだけを頼りに、この仕組みをゼロからつくってきました。「いい成績を取ることへの情熱」でも「大学に合格することへの情熱」でもありません。「将来成功することへの情熱」ですらありません。そのものを、知りたいという情熱です。世界が本当はどう動いているのかを理解するまで考え続ける情熱です。だから、HSCredを開いて、まず見て自分が好きな分野を探してください。その分野のチャンネルがあれば、もう半分は準備ができています。なければ?それでも大丈夫です。
HSCredのチャンネルlは、大学教授によって開設されます。尊敬している教授を一人、思い浮かべてみてください。近くの大学の先生でもいい。以前講演を聞いて、忘れられない先生でもいい。あるいは、学校の先生や校長先生に、大学教授を紹介してもらってください。そして、自分の学校で[ガイド]になってくれる先生を一人見つけてください。あなたの下書きに厳しくフィードバックをくれる人。あなたが悩み、失敗し、それでも諦めずにやり抜いたことを見届けてくれる人です。
そして、映像をつくる。公開する。最大10作品まで。自分の名前がついたポートフォリオが少しずつ育っていくのを見てください。
そして次は、友達を一人誘ってください。変化は、一人の生徒から始まります。もし、もう高校3年生でも遅くありません。短大から4年制大学への編入を考えているなら、今からポートフォリオを始め、編入願書を出すまで育てていくことができます。自分の作品を公開し始めるのに、遅すぎるということはありません。将来、奨学金への応募にも、仕事を探すときにも使えるでしょう。一枚の履歴書では平面的にしか見えなかったあなたが、映像によって、もっと立体的に見えるようになります。
そして、もう一つ知っておいてください。もし、本物の成果で学びを示せる選択肢ができても、生徒たちがこれまでどおりRegents試験を選び続けたら、Regents委員会が、古い試験制度を復活させるかもしれません。そのとき、こう言われるでしょう。「生徒たちは、本物の成果をつくらなかった。だから、結局テストがいちばん公平なのだ」と。「彼らは、つくる人ではなく、ただ画面をスクロールする人たちだった」と。そんな物語を、大人たちに描かせないでください。Regents委員会は今、とても勇気のいる、めったにない決断をしようとしています。でも、彼らだけでは変えられません。新しく開かれた道を、圧倒的に素晴らしい生徒の作品で埋めてください。もう昔の制度には戻れないと誰もが思うくらいに。「みんなが受けるから」と、今まで通りの試験を選べば, このチャンスは手に入らないかもしれません。そして、また「ものさし」が学校の主人になる。次の世代の子どもたちもまた、「好きなことを知りたい」と学校にやって来たのに、「静かに座りなさい」「黙っていなさい」と言われることになる。
だから、黙って座っていないでください。立ち上がってください。
これは署名運動ではありません。抗議運動でもありません。あなたがいて、その隣にもう一人の生徒がいて、さらにその隣にも一人いて、人生を一回の試験で決めるという考え方に、みんなで言うことです。
NO. もう、いらない。もう、終わりにしよう。少なくとも、私たちの世代では。
映像をつくってください。作品を公開してください。大学教授に声をかけてください。隣にいる生徒にも、これから自分たちにどんな選択肢が生まれるのかを教えてください。そして、その選択肢を実際に使ってください。
もう、学ぶことを嫌いになるのをやめよう。
そして今度は、あなたたちが私たちに教えてください。この世界について、あなたたちにしかわからないことが、たくさんあります。私たち大人には、決して見えないものがあります。だから、あなたたちに期待しています。
点数だけでは伝わらない、本当のあなたを、もっと鮮明に、大学に見せましょう。