2026年1月20日
ナダブゼマー
100年以上にわたる運動が、かつて奴隷であった人々に投票権をもたらしたこのキング牧師の日(マーテインルーサーキングJr.を祝うアメリカの祝日)に、私はその歴史を切り開いた一人の人物を讃えたいと思います。その運動は、1870年の憲法修正第15条以前から始まり、1965年の投票権法を超えて続いてきました。すべてのアメリカ人が必要最低限な生活レベルを満たし、尊厳を持って生きれる社会を実現するには、まだまだやらなければいけないことがたくさんあります。しかし投票する権利そのものは、常に攻撃にさらされながらも、過去よりもはるかに守られたものになっています。こうした祝賀の日にこそ、基本的な人間の尊厳すら与えられていなかった時代から立ち上がり続けた、自由の闘士たちを思い返すことが大切なのです。
1964年8月、ミシシッピ州サンフラワー郡の小作農が、民主党全国大会の資格審査委員会の前に立ちました。彼女の名はファニー・ルー・ヘイマー。彼女は投票登録を試みただけで、留置所で殴打されました。18年間働いていた農園から追い出されました。身を寄せていた家には16発の銃弾が撃ち込まれました。そしてついに権力を持つ人々の前でマイクを手にしたとき、彼女は許可も謝罪も求めませんでした。彼女は、自分が「兵士を必要としない世界のために闘う兵士」であることを知っていたのです。
彼女は自由を求めて自分に起きたことを、自分の声で語り、そして問いかけました。「これはアメリカなの?」ファニー・ルー・ヘイマーは、私たちの中に共通の自由への闘いを見ていたからこそ、アメリカを愛していました。いわゆる「アメリカ人」から自由を否定され続けても、彼女は決して理想を見失いませんでした。自由の国のために戦っていたのです。
ファニー・ルー・ヘイマーがこれほど力強い存在であった理由は、他人に自分の物語を語らせなかったことにあります。彼女は、デルタ地帯で綿花を摘む黒人女性として、主流社会からは『見えない』存在でした。沈黙させるために設計された制度の中で生きてきました。しかし彼女が語り始めたとき、彼女は自分自身のために語ったのです。
「あなたのために登録したんじゃない。自分のために登録したんだ」
投票登録を撤回しろと迫った農園主に、彼女はそう言いました。なんという力でしょう。怒りや復讐を求めるのではなく、私たちの「善」を要求する力です。
そして彼女の物語は、今もサウスブロンクスにある彼女の名を冠した学校の生徒たちの中に響き続けています。ファニー・ルー・ヘイマー・フリーダム・ハイスクール(FLHFHS)は、スタイバサントやブロンクス・サイエンスのような有名高校ではありません。裕福な家庭の親たちが共有する『良い』高校リストに載ることもありません。全米で最も貧しい選挙区のひとつに住む生徒たちを受け入れながら、誇れる卒業率を実現しています。
しかし、最も重要なのは「どうやって」卒業させるかです。
この学校では、マークシートを埋めることで進学準備を証明しません。生徒たちは、彼女の遺志を受け継ぎ、自分の物語を語ります。研究論文を書き、科学実験を設計し、正解が一つではない数学の問題を解きます。そして教師や外部専門家の前に立ち、自分の成果を弁護します。思考を説明し、厳しい質問に答え、何度も修正し、再提出を繰り返します。それは「本当に自分のものになった学び」だからです。彼ら一人ひとりの知的自由のための闘いなのです。
この実践は何も新しい発明ではありません。ニューヨーク・パフォーマンス・スタンダーズ・コンソーシアムという38校のネットワークが、30年にわたって築いてきた成果です。生徒たちは、文学・社会・科学・数学の4領域でPBAT(パフォーマンス課題 ーPerformance-Based Assessment Tasks—)を制作します。 パフォーマンス評価です。
文学では分析エッセイ。 社会では授業から生まれた問い(たとえば「なぜ公民権運動はその時代に起きたのか?」)に基づく研究論文。科学では、生徒自身が設計し実施した実験。 数学では、問題解決の過程を言語化した数学レポート。書く量も多いですが、本当に生徒を変えるのは対面発表です。 自分の教師、他校の教員、地域の専門家の前で発表する形式は、まるで大学院の論文審査のようです。評価は長年改良されてきたルーブリックに基づき、年に2回、教師同士が集まって基準をすり合わせます。厳格で、透明性のある公開された制度です。ルーブリックは誰でも閲覧可能です。
学習政策研究所が卒業後の進路を調べたところ、驚くべき結果が出ました。コンソーシアム校の生徒は、より貧困層出身で、共通テストの平均点も低いにもかかわらず、大学1学期の成績が高く、取得単位数も多く、在学継続率も高かったのです。特に黒人男子生徒の大学定着率は、全国平均を大きく上回りました。テストよりも「生徒の提出物」のほうが、進学後の成功を正確に予測していたのです。この生徒たちの提出物こそが、ニューヨーク州の「卒業生の肖像(Portrait of a Graduate)」の基盤となりました。リージェン(高校卒業資格)試験の段階的廃止は、厳しさを捨てたのではありません。ファニー・ルー・ヘイマーのような学校が証明したことを制度が認めたのです。実践から生まれた枠組みでした。
今、欠けているのは、教育者の負担を増やさずにこの仕組みを持ち運び可能で拡張可能にするインフラです。
HS Credでは、生徒自身に最終提出物をデジタル化する追加作業が必要になってきます。自分の学びを「記者」として報道するように、大学や社会に向けて提示するのです。 24ページの論文を10分の動画に変換することは、私たちの世代がパワーポイントで発表したのと同じことです。むしろ編集できる分、動画の方が自由度は高いでしょう。しかし、大学出願時にその提出物はどこへ行くのでしょうか?成績表に取り込まれ、細やかな知的達成は消えてしまいます。HS Credに動画としてアップロードし、大学職員が評価できる形にしない限り、その証拠は失われてしまうのです。HS Credが埋めたいギャップは、生徒自身の手で埋められるべきものです。学術的価値は、生徒の努力から生まれ、それが動画として可視化されます。教師の確認、3人の独立した専門評価者、公開ルーブリックによる評価。4人の合意によってクレジットが認定されます。しかも、その提出物は誰でも見ることができる公開アーカイブとなります。
コンソーシアム校の生徒は、すでにこの力を持っています。PBATをやってきた生徒にとって、10分動画は「新しい学び」ではなく、「新しい形式」なのです。教室は学問のニュースルーム。口頭試問はすでにパフォーマンス。変わるのは観客だけです。
日本の教育者にとって、このモデルは重要でしょう。日本では探究学習が必修化されましたが、高校教育の中でそれほどに評価されていません。「評価すれば腐敗する」という恐れがあるからです。しかし、透明性・公開性・多重評価によって、その腐敗は防げるのです。提出物が公開されるとき、演技は通用しません。考えられるか、考えられないか。説明できるか、できないか。それだけです。ファニー・ルー・ヘイマーが理解していたように、沈黙させられてきた人に必要なのはマイクです。そして大人が退いて、その道を若者に開け渡すことです。
私は、テストに引き戻される生徒を見ることにうんざりしています。貧しい学校の優秀な生徒が見落とされることにうんざりしています。能力ではなく従順さを測る制度にうんざりしています。HS Credは、この30年の実践をデジタルのインフラに変え、世界に届けるための仕組みです。10分の動画は、問い・過程・学び・証拠を示すだけ。それだけで十分なのです。ファニー・ルー・ヘイマーは許可を待ちませんでした。声を奪われた者が生きるために、声を取り返したのです。今日の生徒も同じです。拒否されるなら、示せばいい。沈黙を強いられるなら、記録すればいい。
彼らはすでに準備できています。私たちは、その声が世界に届く道をつくるだけです。
2026年2月、HS Credは最初の学生の動画公開を開始します。
立ち上がり、声を上げる生徒たちの声を、ぜひ聞いてください。
ナダブ・ゼマー
HS Cred 創設者/元NYC再建校校長
ビッグ・ピクチャー・ラーニング・リーダーシップ・サミットは、2026年1月26日〜29日にニューヨーク市で開催されます。
#PassionForLearning #AcademicCapital